ヴィパッサナー瞑想 7日目

7日目

ヴィパッサナー瞑想合宿も順調に進んでいる。

 

毎日同じことの繰り返しにも見えるが、内面では全く違う。

 

 

細部にまでこだわると、ただの座って瞑想なのにこんなにも奥が深いものかと驚いてしまう。

 

アニッチャなのだ。

 

 

時間は常に流れ、身体の中の思念も流れ、日々学んで行く。

 

 

 

 

 

さて、昨日の話の続きだが、筆者も恐らく3回位脱走まではいかないものの、ふと、「あ、嫌だな」と思った事はあった。

 

それはいつかと言うと、最初の足が痛くなった時。

 

中盤の慣れて来て調子に乗って来た時。

 

最後は、残り1日という時。

 

前の2つは、きっと大なり小なり皆普通にある事なのだと感じる。

 

講話の内容からもそれを感じる事ができた。

 

最後は良くわからないが、ゴール前というのは力が抜けやすいからなのかもしれない。

 

 

 

ヴィパッサナー瞑想についての指導は、更に面積を広げて感じ、また、感じにくい所はじっくりとどまって感じるように、ひたすら観察を繰り返すように指示を受ける。

 

 

ヴィパッサナー瞑想を数日続けると、スキャナの精度が上がったのを感じる、まるで本当にそこを機械が通っているかのようにビーっと通って行くのを感じるようになる。

 

この感じは個人差があるのだろうが、筆者はそんなイメージだった。
(本当は機械などをイメージしてはいけないらしい…これがまた難しい所である。)

 

 

 

また、この辺りで、観察力が向上したからなのか、不思議な出来事があった。

 

ある時、いつものように瞑想ホールを出て外の山に目を向けてみると、なんだかとても山々の奥行の遠近感が、ハッキリと鮮明に感じられるようになっている事に気がついた。

 

普通に毎日見ている景色なのだが、とても色鮮やかでキレイに見えたのだ。
まるでテレビの平面の景色がいきなり3Dにでもなったかのようなイメージでとても立体的に感じた。

 

 

手前のざわめく木々、奥の静かに佇む木々、その奥の奥の山々…また、手前を流れる早い雲、その奥をゆっくりと流れる雲、背景の空…こんなに距離があったのだなとふと感じたのである。

 

今までは感じたこともない、初めての出来事であった。

 

この体験は今でも時々山を見ると感じるが、とても不思議であった。

 

 

 

きっと、景色はそこにあったものと何も変わっていないのだろうが、それを見る自分の心が変わってしまったのだなと自分なりに解釈している。
何でも無い事に驚いた事に驚いた。

 

 

 

あと、マントラ、お教や考え事、言葉などを唱えてはいけないのだが、筆者は「無我の境地」という言葉がついつい頭に浮かんでしまい「無我」と思うと目を閉じている暗闇がシーンと静まり返る不思議な感じがあった。

 

なので、唱えてはいけないのだが、無我と最初に集中する時に思たりしていた。

 

これも人によって色々あるのかもしれないが、一種の自己暗示のようなものかもしれない。

 

 

 

瞑想は、目を閉じて、本当に上手く集中できたのなら時間という概念は無くなる。

 

 

嫌だ嫌だと思うほどに時間を感じてしまう。

 

 

うむ、やはり無我こそ最強なり!

 

 

と、ヴィパッサナー瞑想らしからぬ事も交えつつ取り組む。

 

 

 

 

夜の講話では、日にちが曖昧なのだが、信仰の対象は外に持ってはならないという事や、唱えてはいけないという事を言っていたように思う。

 

 

そういったものを用いれば簡単に良き瞑想状態には入れるかもしれないが、心の浄化という本質的な解決にはならない。

 

よって、そういう方法のものとヴィパッサナー瞑想とは一線を画すものであると言っていたような気がする。

 

 

あと、ブッダが、科学も無かった2500年前に自己を探求し発見したもので、物質の究極の姿は泡のようなものだというものがある。

 

それは生まれては消え、生まれては消えを繰り返している。

 

 

近代科学では細胞の研究などが行われ、そういった事も調べればわかるし理解できるが、科学者は例えそういう事実を知ったとしても悟りは得られないし、不安や苦悩も消すことは出来ない。

 

体験のない知識からは悟りは得られる事はない。

 

よって、頭で幾ら理解しようとも、ヴィパッサナー瞑想実践というものが必要になって来る。

 

 

自分なりの解釈だが、悟りというものはどこか派手なレベルアップしたー!みたいな印象を持ってしまうが、恐らくそうではないのだろうなとも感じた。

 

ブッダの生きる知恵とは、人間の生き方説明書・マニュアルみたいなものなのだろうかとも感じた。