ヴィパッサナー瞑想 10日目

10日目

最終日、と言っても帰るのは明日(この時は勘違いしていて、この日帰れると思い、帰る気満々でいた…)

 

最終日はメッターの瞑想というものを教わった。

 

 

愛と慈しみ・慈悲の瞑想。

 

周りの、ありとあらゆる生きとし生けるものに無償の愛を捧げるという瞑想法。

 

良くヒーリングなどでも愛の瞑想などはあるが、それと同じようなものだ。

 

 

 

 

筆者が思う所、やはり、瞑想・祈りなどの究極は愛に結びつくもので、自己愛もそうだが、他者への愛、無償の愛こそ最高なのではないかと思う。

 

最近では、利己主義・競争主義社会が普通だが、愛に生きる心の綺麗な人間は真逆で、純粋な利他主義思想。

 

その中で自己も愛するという形が最も人間の生き方説明書・マニュアルで大切な部分ではないかと思う。

 

困っている人がいたら蹴落とすのではなく、助けたら何かいいことがあるかな?と算段するのではなく、ただ手を差し伸べる。

 

 

 

それを徹底的にやることによって、生き物は殺さないだとか、菜食中心の贅沢しない食文化だったり、余計な事は喋らないだったりという事につながるのではないかと個人的には解釈している。

 

 

ついつい殺してしまう虫にも慈悲を、こぼれ落ちる水の一滴にまで慈愛の心を持つことが出来たらどんなに素晴らしい事だろうか。

 

 

 

 

 

さて、メッターの瞑想だが、また素敵なアナウンスのお姉さんによって誘導されて行く。

 

メッターの瞑想は、具体的にこうだというものはないようにおもうのだが、イメージ的には、今まで自己の内側の探求だったものを、今度は外に向けるという感じ。

 

 

生きとし生けるもの、全ての生物、関わった人に対して愛を送る…

 

ありがとう、だとか何でも良い、何も考えないヴィパッサナー瞑想とは逆で、今度は身体の中を愛と感謝でいっぱいにして、そのエネルギーを放出していく感じ。

 

グループ瞑想で指導してくれていた外人の先生が最後に、「私はずっとあなたたちにメッターの瞑想を捧げていました、良き瞑想が出来るように、この空間に」というセリフには鳥肌が立った。

 

そう、言葉は通じなくとも、なんとなく感じていたのだ、純粋な無償の愛を。

 

 

 

そして、この瞑想をやったのだが、ここまでものすごい集中力が高められていたからか、心が浄化されていたからなのか、この瞑想が終わった後に筆者は号泣してしまった。

 

 

意味もわからず、溢れる涙が止まらず、瞑想は終わって聖なる沈黙も解かれ、皆がホールを出て行く中で筆者はその場にうずくまって、しばらく止まらない涙を流していた。

 

30分〜1時間位だろうか?

 

全く動けなかった、これはなんだ?との思いや、今まで30数年生きてきた人生で関わった全ての人達の事を考えて、あの時はああだった、こうだったと考えて、素直に全ての事を受け入れ考えたら、嫌だった事も全て人のせいではないなと思うことが出来た。
純粋に全てを許す事が出来た。

 

 

自己否定ではないのだが、自分も含めて他人の事を考える事が出来た。

 

 

母親や両親にも素直になれないが、向こうから見た自分の事なども色々と考えた。

 

 

そういった事が全てまとまって浄化された気がした。

 

その結果として、涙となって流れて来るのか?とも感じた。

 

 

まぁ、とにかくこの体験は、ヴィパッサナー瞑想合宿で一番驚き、感動した出来事となった。

 

 

初めての体験に、こんな風になる事もあるんだなと驚いた。

 

何故だか、あの時の事を思い起こすだけでも今でも涙腺が緩んでしまうほどだ、トラウマか何かわからないが、強烈な何かがあったのだ。

 

 

 

他を見る余裕は無かったのだが、女性人側でも泣いてる人がいたっぽく、それらしきすすり声が聞こえたような気がした。

 

泣く人を見てもらい泣きした人、筆者と同じように感極まってしまった人…様々だと思うが、皆、心が浄化されたり、何かから開放されたのではないかと思う。

 

 

 

さて、涙を出し切ったら、聖なる沈黙の解かれた世界はどうなっているか、恐る恐る食堂へと足を向ける…

 

 

 

すると、そこでは今までに無かった、とても下界らしい普通の雰囲気が漂っていた。

 

 

口を開けば人間は180度イメージが変わるものである。

 

 

あの時ああだったよねとか、娯楽がないからトカゲで遊んでいたとか、実は邪念でいっぱいだったとか、おもしろい話が沢山聞けた。
この人はこんな人だったのか…と、人の個性とはコミュニケーションがあって初めて成り立つのだなとも感じた。

 

 

筆者は引きこもりでコミュニケーション能力は低いので、あまりそういう場に積極的に参加はしたくない派なのだが、そうは言っても、10日間も同じ屋根の下でご飯を食べた人達・同じ苦しみを味わい乗り越えた人達は、やはり特別なものを共有しているように思えた。

 

 

そこで、自分はこういうものが見えた、こう感じたなど、様々な情報を交換した。

 

 

 

この聖なる沈黙だが、最後にはっちゃけて台無しになってしまう場合もあるなど、賛否両論あるのだが、一応10日間と日程も区切られている普通の人間達の集まりなので、下界に降りて行く前の予行練習も兼ねられているという風に感じる。

 

 

また、コースマネージャーの方々の裏話なども聞くことが出来るし、それもなかなかおもしろい。

 

 

人によっては、そのまま古い生徒になって3日間のコースに参加することも可能だと思う。

 

 

なんにしろ、この日は思いっきり泣いたり、久しぶりに口を開いたり、色々あった1日であった。

 

今思えば、とても色濃い記憶になっているようで、鮮明に覚えている。