ヴィパッサナー瞑想 最終日

最終日

最終日も昼までは普通に瞑想・講話という流れになる。

 

 

でも思うのは、やはり瞑想に集中するのなら、おしゃべりはない方が環境は良い。

 

 

話すことで人のことを知ってしまうのだが、そこで人の人格が見えると、あれこれ考えてしまったり、気が散ってしまったりする。
もちろん、会話から得た知識で、もっとこうしてみようという工夫も生まれるが…

 

 

聖なる沈黙は、瞑想するなら必須のルールだなと改めて思う。

 

瞑想ホールでは喋らないが、雰囲気は相当変わる。

 

 

この日は朝に、1日2本のバスどちらで帰るかを食堂の張り紙に記入して、帰る時間を選ぶ事が出来た。

 

ほとんどの方は昼の第一便で帰ってしまったので、それを見送った。

 

 

残ったメンバーは、夕方まで引き続き、少人数で瞑想をしたり、庭の手入れ、食器の片付けなど、ちょっとだけ古い生徒側のやるような事を手伝ったりした。

 

 

また、ここでもなんでコースに参加したかや、今まで色々な瞑想に手を出して来たという高齢の方、修業中だというお寺のお坊さんの方や色んな人と深い話も出来た。

 

 

残ったメンバーは多分、10日間お世話になったので、感謝の気持ちから、些細なボランティアをしたいと思い残ったのだと思う。。
筆者はそういうつもりで残った。
(とは言いつつ、最後にダーナといって自由に寄付をする事ができるのだが、筆者は数千円しか出せなかった。これはしかし、人によって様々、宿代と食費分と数万出す人もいれば、ポケットから小銭を出す人もいるし、まぁ、気持ちで良いと思う。領収書を切られるのであまり出さないと恥ずかしい思いをするかもしれない。)

 

 

 

ここで驚いたのだが、前に書いた、隣に居た、やたら音を発する不真面目そうな参加者が、最後まで残り、一番活躍をしていた。

 

 

心が綺麗になったのか、それとも、音を発し、態度が悪く見えるだけで本当はとても良い人なのか、良くは分からないが、人は見た目では全く判断できないなと思った。

 

聖なる沈黙の後、少し話した時も軽い気持ちで参加した!と言っていたが…驚いた。

 

 

一番キツそうな作業を、帰る間際まで全力でやっていた。

 

姿を見なかったので帰ったと思っていたら、姿も見せずに人知れず作業に没頭していたらしい。
多分、ご飯も食べていなかったのではなかったのではないかと思う。

 

その事にとても感動した。

 

 

 

夕方には、バスが来て最後のメンバーと帰路についた。

 

 

記入表にはあまり名前はのっていなかったが、実際には結構残っていたようだった。

 

 

皆、東京方面で帰りも沢山話したが、久々の下界におかしなテンションになっていて、かなり不審な軍団になっていたに違いない。
とても生き生きとしていた。

 

 

コースマネージャーも言っていたが、来た時と、みんな表情が全く違う、来た時はとても暗い顔をしていたが、帰りは皆輝いている。
一人の脱落者も出ることなく、とても質の良い瞑想が出来た。

 

本当に良かったと言っていたが、筆者も本当に素晴らしい体験が出来たように思う。

 

 

話は尽きないが、そのままみな日常生活に戻っていくのだった。

 

 

筆者は丁度地元に帰省する準備中だったので、部屋の掃除、引越しの準備へと戻っていくのであった。