呼吸を見る 観察する 自我を捨てる 難しさ

呼吸を見る、観察する事・自我を捨てる事の難しさ

ヴィパッサナー瞑想は客観的に体中をミクロの部分まで観察し続ける瞑想です。

 

客観的に観察する事で物事を冷静に考える事が出来、静かに呼吸を見る事で自我も無くなって行きます。

 

自我が無くなれば、例えば

 

  • 早く瞑想終わって欲しい
  •  

  • 時間まだかな
  •  

  • 疲れた
  •  

  • お腹すいた
  •  

  • 長い
  •  

  • 嫌だ
  •  

  • 横になりたい

 

などという感覚は消えて無くなります。

 

また、ヴィパッサナー瞑想では、明確なマニュアルがあり、指導を受ける事が出来ますが、言葉通りにやったとしても、難しい部分も沢山あります。

 

 

例えば

 

  • 体中を隅から隅まで観察して、感覚を感じる
  •  

  • 体の上の方から水が流れるように全身の感覚を上から下に流れるように感じる

 

 

などとアナウンスを聞いてしまうと、自分を外側から見ているカメラワークを想像し、体の部分を拡大して映し出したり、流れる水を想像してしまったりという事をしてしまいますが、ヴィパッサナー瞑想によるとそういった映像的なものを思考してはいけないとも言われていますので、このあたりがとても難しい所だと思います。

 

この事は、先輩ヴィパッサナー瞑想経験者の方にアドバイスを求めても同じく難しいという事は言っていました。

 

やはり想像はしてしまいます。

 

 

ヴィパッサナー瞑想は、自我があってはいけないという事になりますが、呼吸を見るという事に関しても、自我を持って呼吸を見なければと取り組んでしまっては本末転倒だという事になるのだと言います。

 

このように考えると、ただ鼻の辺りを意識して呼吸を観察するアナパナ瞑想においてもシンプルですが、とても難しいという事がわかります。

 

そして、アナパナ瞑想は必ずクリア出来ないと、ヴィパッサナー瞑想も勿論上手く行きません。

 

 

日常生活では自我が大半を占めており、それが活動の源となっていると言う事も出来ますので、そんな中では呼吸を観察するという事も簡単な事では無いと思います。

 

 

日常生活においては、ぼーっと空や海や山や川など、景色を眺めてはいるが思考はしていない、という状態が対象は外にありますが、ヴィパッサナー瞑想に近いような気もしています。

 

 

また、瞑想は起きたまま寝ている状態と表現する方もいますが、これも同じく近いのかなとも思います。

 

人は自然と時に瞑想をして、脳内の整理や心の整理を行っているのかなとも考えられます。

 

それを意図的に行い、自己の力を最大限に抽出する事が出来るのがヴィパッサナー瞑想の役割なのかなとも思います。

 

パソコンで言う所のディスククリーンアップのようなものかもしれません。

 

 

こう考えると面白いですが、人間にとって必要な事なのかなとも思ってしまいます。