ヴィパッサナー瞑想 虚無しか生まれない 疑問

ヴィパッサナー瞑想では虚無しか生まれないのでは?という疑問について

ヴィパッサナー瞑想を用いたブッダの教えは、最終的には世のため人の為に生きる・慈悲の心を得るという事を説かれていますが、実際にヴィパッサナー瞑想を実践した結果、虚無しか残らないのでは?と感じてしまう事もあのではないのかなと思います。

 

 

この事については、ヴィパッサナー瞑想の実践を目的とした10日間の合宿等で簡単に理解出来るものでは無いと思いますし、正しく理解するにはもっとブッダの教えを学ぶ必要があるのだと思います。

 

 

そもそもブッダの教えというものは、仏教の教えが様々な形で変化して後世に派生している事からもわかる通り、何が正しいものかという事はわからないとも言われていますので、本当に正しく理解するには様々な文献などを参考にして自分で納得するものをパズルのように繋げて行く作業が必要になるのではないのかなとも思います。

 

 

また、ヴィパッサナー瞑想は沢山ある修行法の中の四念住法の一部を取り出したものに過ぎないとの事なので、ヴィパッサナー瞑想を極めれば悟れるという単純なものでも無いという事は誤解しないようにしておいた方が良さそうです。

 

 

ブッダが説いた法の七科目

 

  • 四念住法
  •  

  • 四正勤法
  •  

  • 四神足法
  •  

  • 五根法
  •  

  • 五力法
  •  

  • 七覚支法
  •  

  • 八聖道

 

 

ブッダの基本的な理論については、快感原則に基づく自己イメージの払拭と止滅による個人存在からの解放という事が説かれています。

 

 

快感原則については

 

  • 人は欲求などの刺激を受けた瞬間に【受】
  •  

  • 好悪のイメージを想像し【想
  •  

  • 欲求・イメージを実現させる為に行動を起こし【行】
  •  

  • 自己意思を形成し自我を確立します【識】

 

 

ヴィパッサナー瞑想を実践する事で、この【想】の段階で【行】【識】へ向かわないように思考を遮断・止滅させる事が出来るようになります。

 

 

こうした事を行う事で、人間の快楽原則・欲求の支配から解放されます。

 

 

また、何度も何度も繰り返し行われる自己・自我などに一切束縛を受けなくなれば、自己を自由に作り出す事が出来る能力が生ずるとされています。

 

 

自我・自利を持たなければ、自然と自分という概念・自他を分ける境界線・差別観も無くなり、そうすれば必然的に利他・平等観のみが残り、最終的に慈悲へと繋がるとされています。

 

 

ヴィパッサナー瞑想にはこうした明確な目的もあるようですので、実践する際にはこうした全体的なディテール・理論も学つつ取り組んでみると、より理解も深まるのではないのかなと思います。

 

 

こう考えると、10日間のヴィパッサナー瞑想合宿はほんの入口に過ぎなかったのだなと気づかされます。

 

 

とても奥が深いですが、ブッダが後世に残したとされる悟りに至るヒントを少しづつ集めて行くのもおもしろそうだなと思った今日この頃です。