呼吸を観察する 悟りに至る

呼吸を観察する事でどうして悟りに至るのか?という根本的な疑問

ヴィパッサナー瞑想に取り組み始めると、必ず悟りとはなんだろう?なんで呼吸を観察する事が悟りに至る道に繋がるのだろう?という疑問を持ってしまう事もあるのではないかなと思います。

 

 

悟りとは、解脱とも言われますが、簡単に言ってしまえば自己の執着を離れる事だとされています。

 

迷いの苦悩・煩悩などの執着から離れ涅槃の世界に脱出する事とも言われていますが、人間の究極の目標や理想として用いられる事もあります。

 

 

この状態を体を持って体感するのがいわゆるヴィパッサナー瞑想という事になるのですが、呼吸・全身を観察する事がなぜこれに繋がるのかという事については実際に体感しないとわからない事だとも言われていますので、実践する事が一番です。

 

 

ヴィパッサナー瞑想がなぜ悟りに至るのかという疑問についてですが、呼吸をじっと観察していると、呼吸は生まれては消えて行くという生住滅のサイクルを繰り返しているという事に気が付きます。

 

 

また、その事を体感し、理解する事が出来たら、同じく全身を観察して行きます。

 

 

そうすると外界からの刺激やそれに反応する思考・感情・感覚が生まれているという事を体感する事が出来ます。

 

 

これも呼吸と同じく生住滅のサイクルを繰り返しているという事実を身体の感覚として知り、それを冷静に見る事も出来るようになります。

 

 

そして、このサイクルは原因があるから結果が生まれ、それは必ず消滅する、消滅するのであれば執着する価値はないという、縁起・諸行無常・一切皆苦ということを知り体得する事が出来ます。

 

 

自己は、実は外界・内界からの刺激・思考により生住滅を繰り返しているだけのものなのだと知る事で、実態の無いものだという事を体感する事が出来ます。

 

 

自分というものを観察した時に、肉体と意識があるという事に気がつきますが、意識がなければ肉体は死体と何ら変わらないという事になります。

 

 

その事が理解出来れば肉体への執着から離れる事が出来ます。

 

肉体への執着が無くなれば外界からの感覚刺激にはコントロールされる事はなくなります。

 

内界の思考・感情をコントロールする事が出来れば欲望に支配されるという事もなくなり、自己を健全に保つ事が出来ます。

 

 

全ての執着から離れる事が出来たら、もはや自分の自我というものは存在せず、自分と他人とを分ける境界線も無く全てのものから解放される事が出来ます。

 

自分と他人とをわけて考えなければ、差別的な思考・利己的な言動は生まれなくなりますし、結果利他的に生きる事が出来るようになります。

 

 

簡単に悟りを説明するとこのような感じになるのだと思いますが、「言うは易く行うは難し」ということわざの通りで、ヴィパッサナー瞑想でも、やり方を知ったから出来る訳ではないという事は度々言われている事ですので、実際はとても奥が深いです。

 

 

しかし、このように理論を知ると、ただの呼吸観察がなぜ悟りに至るの?という疑問も少しは和らぐのではないかなと思います。

 

 

人間は大地に生える1本の樹である。

 

 

理想はそんな感じなのかもしれません。