ヴィパッサナー瞑想 社会生活 必要 理由

ヴィパッサナー瞑想が社会生活において必要だと思う理由について

ヴィパッサナー瞑想は10日間の瞑想合宿を体験した後、実生活でもしばらく実践し続けましたが、日常生活の中でヴィパッサナー瞑想は本当に必要なのだろうか?実践し続ける事に意味はあるのだろうか?と疑問を感じたので、一度実験的に離れてみる事にしました。

 

 

実験的と言っても、特に狙った訳でも無く、実際の所は、毎日続けるのはやはりしんどいですので、時が経つにつれ、ヴィパッサナー熱もだんだん冷めて自然と辞めてしまったと言うのが実際の所です。

 

 

そして、実践して、辞めてと言うサイクルを経験した訳ですが、この一連の流れを体験した上で思う事は、やはりヴィパッサナー瞑想はやった方が良いなという事です。

 

 

なぜこう思ったのかという事についてですが、辞めた事によって生活が乱れたと言う理由があります。

 

 

乱れたと言ってもそんな人間的にめちゃくちゃな生活をしているという訳では無いのですが、ヴィパッサナー瞑想を体験する前に戻ったか、ハッキリと比べる事は出来ませんが、もしくはそれ以上に悪化してしまったのではないかな?と自分なりに思います。

 

 

これは、1度ヴィパッサナー瞑想を体験して、観察眼が作られたからなのかどうなのかわかりませんが、結局また渇望して、執着して、苦しんでというサイクルを延々繰り返してしまっている自分が居るという事に気がつきました。

 

 

自己・自我を持っていますので、わかっちゃいるけどやめられないという欲望を繰り返し、その度に後悔を繰り返しています。

 

自己・自我に雁字搦めにされてしまっている状態です。

 

 

そういった事に気がつき、自我から解放されて自由になるのにはやはりヴィパッサナー瞑想が必要なのだと実感したので、また新たにヴィパッサナーについて調べて実践を始めてみようと思います。

 

ヴィパッサナーの第二ステージへと上がったという所でしょうか。

 

 

情報が少ないですのでよくわかりませんが、恐らく一度体験して辞めてしまい、また何かのキッカケで更に上を目指し探求し始めるという方は多いのではないかなと思います。

 

 

 

ヴィパッサナー瞑想が社会生活に必要だと思う理由についてですが、日常生活には自由があり、どのように生きるのかはその人の選択次第でどのような色にも染まる事が出来ます。

 

本能ままに欲に従って欲にまみれて生きれば究極の行き着く所は犯罪者という事になります。

 

 

イライラしたら暴力をふるい、人にどう思われようが自分を一番大切に考え、他人が困っていたらそれを喜び、蹴落とし、優位に立てたら自分は凄いと自画自賛し、名誉地位財産を築く為には上記のような事も厭わない。

 

 

こんな生き方は現代の競争社会では割と普通の考え方だったりします。

 

 

学校では、良い仕事に就く為にと小さい頃から競争を強いられる事になるので、そんな人間が育つのも当たり前だと思います。

 

イジメが起こる原因も他人を思いやる事を知らないからです。

 

競争社会に邁進してしまうと、そんな心の余裕はどんどん無くして行きます。

 

 

そして、これらの行いは利他思想をモットーとしたブッダの教えとは真逆のものです。

 

 

ヴィパッサナー瞑想は自分を持たない、自我を切り離す、コントロールするという目的がありますが、それを実践する事で、欲望に支配されるという事を未然に防げます。

 

 

イライラした⇒暴力では無く、根元にあるイライラしないという状態をキープする事が出来るようになりますので、根本的な部分からテコ入れする事が出来ます。

 

 

悪は滅して、善を増やす。

 

 

そのサイクルを生み出すように注意して生きて行けば、ある日突然過去の過ちを悔いる事になる…などという事にもならずに済みます。

 

 

また、ヴィパッサナー瞑想を実践してれば、普段だと、あの時人の為にああしてあげたかったという事が、何も考えずにサッと実行出来る人間になります。

 

そういう事をすると格好悪い、変な奴と思われるかも、普通じゃないと思われるかも…などと思考が駆け巡ってしまうという事はよくある事ですが、良い行いの為ならそんな事は気にしなくなります。

 

目の前の人の喜ぶ笑顔が一番という純粋な考え方になりますので、あと一歩が自然と踏み出せるようになります。

 

 

その一歩が出せるか出せないのかという差で人間は大きく変わって行く事が出来るのだと思います。

 

 

目の前の人の笑顔を何よりも大切に考える事が出来るかどうか、これが利他思想の全てなのではないのかなと思います。

 

 

人は必ず後悔をしてしまう生き物ですが、そういう事を無くすには、世の中の常識にどっぷりハマってしまっている自分を見直す作業が必要なのだと思います。

 

 

そして、欲は常識の如くそこらじゅうにありふれているので、そっちに引っ張られないように自分を正し続ける必要があるのだと思います。

 

 

それを可能にするのがいわゆるヴィパッサナー瞑想なのではないのかなと思います。

 

 

自分自身、必要性を感じたのでまた始めてみようと思います。