ヴィパッサナー瞑想 体を鍛えたり肉体改造する事 相容れない

ヴィパッサナー瞑想と体を鍛えたり肉体改造する事は相容れない?

ヴィパッサナー瞑想の理論の説明の中には、自己・自我から解放される事や肉体の執着から解放される事という考え方がありますので、そうするとスポーツなどに取り組む際に自分の体を鍛えたり、肉体改造する事はヴィパッサナー瞑想的な観点から考えると悪い事なのか?逆行しているのではないか?と考えてしまうという事もあるのではないかなと思います。

 

 

この事については、基本的に体を鍛える事は悪い事では無いと思います。

 

これはなぜなのかと言うと、体を鍛えるという事は自分の健康にも関連している事でもあるからです。

 

体は物質ですので人間は食事をしないと生きる事は出来ません。

 

良い瞑想をするのには、良い食事をし、健康であるという事は欠かせません。

 

 

また、食事をする為には仕事をしなければなりません。

 

 

ブッダの言葉には、仕事について触れられているものがありますが、働く事については、贅沢する程稼ぐ必要はないが、正しい行いで生活の為に働く事は必要な事で善い事だとされています。

 

健康の為の心身の鍛錬についても同じく生きていく為には必要不可欠な事ですので、ヴィパッサナー瞑想や仏教の考えかたに反するという事にはならないと思います。

 

 

 

こういうものは混乱してしまいがちですし、矛盾を感じてしまうという事もありますが、基本的にブッダの教えは、「苦を生み出さず善い行いに変えて行く」というものが基本理念としてあると思いますので、自分が正しいと思う善き行いに取り組む事は自分の成長にも繋がりますし、迷う必要は無いと思います。

 

 

また、こう考えると何が善い行いで何が悪い行いなのかというものは、現代の一般常識だけでは判断する事が難しいですので、そういった面は仏教の道徳的な知識や勉強も必要になるのだと思います。

 

 

ある宗教では、ブッダの時代は数千年前で、その当時の教えは古く、現代社会では常識も大きく変わってしまっているのでそのまま利用するのは難しいと言う風に考えているという事もある様ですが、これは確かに一理あるのではないかなと思います。

 

 

しかし、人は人である事に変わりはありませんし、根本的なものは普遍であるという事は間違いありませんので、古い教えでも、それを知り、自分で考え現代の社会生活でどう活かして行けば良いのかという事を考えて行くようにするのが、現代における初期仏教の上手な取り入れ方なのではないのかなと思います。

 

 

現代の日本では、肉食・飽食は当たり前とされていますが、ブッダの教えに従えばそれは善い行いでは無いとされています。

 

現代社会では非常に見えにくくなっていますが、肉食をするからには、必ずどこかで誰かが生き物を殺生している訳で、それを自分の贅沢の為に好んで食べると言う事は、現代の常識を取り払って冷静に考えると間違いなく動物虐待行為になりますし、そういうものを好みつつ悟り・解脱や清く正しい行いをしていると考える事は不可能だという事になります。

 

 

現代人は、生まれた時からこういった常識の中で育って来ていますので、当たり前すぎて感謝の気持ちも忘れてしまいますが、真理を追求すると現代社会には当たり前だけど驚くような常識も沢山あるという事に気付かされます。

 

 

そういうものに慣れて感覚が麻痺しまっているので、今更この中から抜け出すのはとても難しい事でもありますが、それでも考えて行く事は大切で意味がある事なのではないかなと思います。

 

 

時々目を瞑って、暗闇の中で自己・自我の探求をする事はこのような事にも繋がりますので人間にとって必要な事なのではないかなと思います。