ヴィパッサナー瞑想 実践 性格は良く変えて行く事が出来る

ヴィパッサナー瞑想を実践する事で性格は良く変えて行く事が出来る?

日常生活において、自分は性格が悪い、性根が腐っている、最悪だ最低の人間だ、と自分の事を卑下してしまうという事は良くある事なのではないかなと思います。

 

そういう事に気がついてしまったら、性格を変えようと自己啓発本を読んだり、対人コミュニケーション関係のサイトを開いて勉強したりという事で努力を始めるという事はまずはじめに思いつく事なのではないかなと思います。

 

そういうものも一時的な効果はあると思いますが、なかなか文字を読み頭で理解したとしても実際に日常生活の場で効果が実感出来たという例はあまり多くないのではないのかなと思います。

 

 

また、様々な情報に振り回されてしまう事にもなりますので、時に自分らしくない行動を取って変に空回りしてしまったり、それがきっかけとなって余計に人間関係が悪化してしまったりと、結果的に自分が無理してしまったりという事になってしまうと、また更に苦しみを生み出してしまう事に繋がってしまいます。

 

 

「性格は幼少の頃に土台が形成されるので、成人になっている場合はもう変えられない」などと言う意見も良く目にしますが、この言葉を間に受けて諦めてしまうという事も中にはあるのではないかなとも思います。

 

性格を良く変えるという事は本当に大変な事ですので、本気で取り組むのならば、もっと人間の根本的な部分から取り組み始める必要があるのではないかなと思います。

 

 

そして、本題のヴィパッサナー瞑想で性格は改善させる事が出来るのか?というについてですが、ヴィパッサナーの本質を理解する事が出来れば性格を改善する事も可能だと思います。

 

 

ヴィパッサナーの本質を知るには、ヴィパッサナー瞑想を実践するというだけでなく、ブッダの言わんとすべき事・仏教の本質を学ぶ事が必要になります。

 

 

性格=人間性・人間のあり方という風に考える事が出来ると思いますが、仏教的な側面からこのことを理解するには、釈迦が最初の説法で説いた涅槃に至る基本の修行の道とされる「八正道」というものを理解する必要があります。

 

 

八正道とは

 

  • 正見(サンマー・ディッティ)…心身の一切について無常の事実を知り心身の上におこる喜・貪を価値の無いものとしりぞける事。正見は他の七種の正道によって実現され、八正道は正見におさまる。
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  • 正思惟(サンマー・サンカッパ)…財産・名誉・感覚期器官による欲望・俗世間で重要視されるものを離れ、渇望せず正しく考え判断する事。
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  • 正語(サンマー・ヴァーチャー)…嘘・無駄話・仲違いさせる言葉・悪口を離れる事。
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  • 正業(サンマー・カンマンタ)…殺生・盗み・社会道徳に反する性的行為を離れる事。
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  • 正命(サンマー・アージーヴァ)…道徳に反する仕事・職業から離れ、人として恥ずかしくない規律正しく営む事。
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  • 正精進(サンマー・ヴァーヤーマ)…起こった不善を断じ・未来の不善をなくす・過去の善行の増長・生じていない善を生じさせる。
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  • 正念(サンマー・サティ)…四念処(身・受・心・法)に意識を向けて常に内外の状況に気づいた状態でいる事。
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  • 正定(サンマー・サマーディ)…正しい集中力を持つ事。正定と正念によって正見が完成する。

 

参考:八正道

 

 

これらを見てみるとある事に気がづくと思いますが、「正定」はいわゆるヴィパッサナー瞑想合宿で言われる所のアーナパーナーで、「正念」がヴィパッサナー瞑想であるという事が分かると思います。

 

 

聖人となるにはこれらの全ての修行を実践する事が基本とされていますので、ヴィパッサナー瞑想だけでなく、その他の取り組みについても正しく実践する必要があります。

 

 

八正道とは、一見人として当たり前の事のようにも思えますが、例えば「正語」の無駄口・悪口・嘘・仲違いなどは無意識にやってしまっているという現実もあるのではないでしょうか。

 

場を盛り上げる為・誰かと仲良くなる為に人の悪口を言ったり、目の前の相手がうんざりしているにも関わらずいつまでも自己陶酔に陥り無駄話を続けてしまったり…などと言う事は現代社会ではそこら中でみられる事だったりします。

 

人の悪口は蜜の味・口は災いの元などということわざもありますが、甘い誘惑がある時は浸ってしまわないように注意しなければなりません。

 

何でもいいからと喋っているといつしかネタも尽きて、言う必要は無い人の悪口も際限なく出てきてしまうなど、そういう事になってしまうと自分の自尊心をどんどん落として行く事にも繋がります。

 

目の前の人の事はどうでも良いからと好き放題やるのは自由ですが、続けていると人は離れて行きますし、自分の心もしっかりそれを記憶して行きます。

 

自分の心に嘘は付く事は出来ませんので、いつかその蒔いた種がきっかけで苦しみ・後悔を生み出す事に繋がります。

 

 

また、浮気や社会道徳に反した性的行為なども良くニュースなどで事件に発展している例を目にしますが、欲に従って欲望のままに行動してしまう事は、このようにたった一つの行いであっても人生を棒に振ってしまうという恐ろしい現実もあります。

 

 

こういう事からも欲望に支配され、虜になり行動する事の恐ろしさを実感する事が出来ます。

 

 

人間には動物とは違い理性というものが備わっていますが、この理性を無くしてしまったら人間はただの獣のようになってしまうと思います。

 

 

反対に理性を抑制し、どんな事象にも左右されない強固な理性を持つという事は、本当の自分自身を見つける事にも繋がりますし、新たな道を歩む力も持つ事が出来るのではないかなと思います。

 

その為には明確な法が必要という事になりますが、それがいわゆる仏教の教えという事になるのだと思います。

 

 

信念が変われば 思考も変わる
思考が変われば 言葉も変わる
言葉が変われば 行動も変わる
行動が変われば 習慣も変わる
習慣が変われば 人格も変わる
人格が変われば 運命も変わる

 

 

有名なマハトマ ガンジーの名言・格言ですが、これについても仏教の言わんとする事と本質は同じだと思います。

 

 

正しい生き方を習慣にして実践し続ければ、性格を変える事は誰にでも可能な事なのではないのかなと思います。